【タコ流】セクハラについて思うこと
こんにちは。
3メートルのタコです🐙
今日はセクハラ問題についてお話ししようと思います。
職場でハラスメント研修がある方にとっては耳🐙かもしれませんが、一般的な研修とは違った角度でお話ししようと思っていますので、セクハラ問題に関心のある方、よければご一読ください。
まずは、セクハラの基準についてです。
見識のある方は
「セクハラの基準?それは、相手が不快に感じることだから、実質的にどこからがセクハラなんてことは言えないんでないの?」
と思いませんでしたか。
それ、正解です。
一般的な研修では、セクハラの基準についてそのように説明されています。
セクハラかどうかの判断が、受け手の感覚に依存していて曖昧であるという点で、一応の基準が定められているパワハラとは異なります。
これは、
「あなたが大丈夫と思っていても、相手が不快と感じていたら、全部セクハラですよ。」
という警告と捉えるべきなんですが、残念ながらセクハラ加害者は
「相手が不快にさえ思わなければ、どんな発言、行為もセクハラではない。」
と、誤って解釈しています。
または、誤って解釈したフリをしています。
セクハラは、直接的な発言・行為の相手方のみならず、その状況を確認し得る全ての人物が、(いわば副流煙的に)不快感を覚えても該当します。
このことからも、上記のような自分勝手な解釈(もとい言い訳)というのは到底まかり通るものでは無いのですが、基準が曖昧であるために、セクハラを助長してしまっている側面もあるというのが現状だと思います。
ところが実は、このセリフを言ったら絶対にセクハラに該当するという明確な基準となるセリフがあるんです。
それは
「もしかして、これってセクハラになるかな?(笑)」
です。
これ、人類史上最もダサくて卑怯なセリフの一つだとタコは思っています。
説明します。
非常に単純な話なんですが、このセリフが出てくる時点で加害者は、その会話・行為がセクハラになる=相手が不快に感じる可能性を認識しています。
その上で、さらに会話・行為を続けるわけです。
やられる立場で想像してみてください。
絶対に、めちゃくちゃ不快ですよね。
万が一の可能性として、相手が(このセリフを言う前の)一連の会話・行為をセクハラと認識してなかったとしましょう。(そんなことほまずあり得ませんが)
しかし、その場合でも、このセリフを言ったら絶対にセクハラになります。
なぜなら、これは相手にセクハラという概念を強く意識させるセリフだからです。
その後の会話、すごく不快に感じると思います。
というか
(人によっては)セクハラ(になる)とわかっている行為を、自らそれを宣言しながら続行する
ということ自体がすごく気持ち悪いですよね。
どうあがいてもセクハラです。
いかがでしょうか。
ご理解いただけると思います。
とはいえ、このセリフを言ったら即セクハラ親父という認定は、可哀想な場合もあると思います。
本当にうっかり際どい話題に触れてしまい、自分でそれに気づいた際に、似たセリフが思わず出てしまうこと、これはあると思います。
ただ、本当にこのパターンだった場合は、その会話をそこで打ち切り、一言謝って、無理矢理にでも話題を転換させるはずです。
そうでなく、引き続きセクハラ会話を続けるパターン。
これは…最低なセクハラです。不快ですよね。
セクハラって本当に悲しいです。
被害者の負う傷の深さが計り知れないことは言うまでもありませんが、それだけでなく、セクハラは加害者の魅力を台無しにします。
元々の好感度にかかわらず、セクハラ加害者と認定された瞬間から好感度は最高でも0です。
どれだけイケメンでハイスペックでも、痴漢と仲良くなりたいと思う人はいないと思います。
セクハラも同じです。
相手が口に出して「やめて」と言えないことにつけ込んで、自分の性的欲求を満たす行為ですから。
セクハラと痴漢は本質的に同じレベルです。
痴漢は電車から降りれば終わりますが、セクハラは毎日毎日職場で被害に遭うわけです。
これは悲惨ですよ。
ぜひともなくなってほしい概念の一つです。
そもそも、誰も得しないセクハラってなぜおこってしまうんでしょうか。
どんな人が加害者になるんでしょうか。
それはもちろん、単純に性的満足を得るためにセクハラする最低な人種ですが、それだけではないとタコは思っています。
タコが考えるセクハラ加害者パターン2は
“自分が相手に受け入れられている自信がない人”
です。
説明します。
以前の記事でも触れたとおり、おじさんは若者に受け入れられていないということをなんとなく自覚しています。
しかしそれは悲しいですね。
だから受け入れて欲しいし、実は現時点で既に自分は嫌われていないんだと信じたいんです。
どうにかそれを確認したいと思っています。
そこで、例えば性的な話題やスキンシップですが、これらは人のデリケートな部分に触れるわけですから、よほどの信頼関係がないと許されないことですよね。
逆にいえば、それが拒絶されなければ、相手に嫌われてなさそうだと安心できそうです。
なのでちょっと一言際どい発言をして、試してみます。
そこで相手はあまり拒絶反応を起こさない。
一安心ですね。
ですが実際は、これって単に相手が上司とか先輩だから、あまりイヤとは言えないってだけですよね。
普通に心では気持ち悪いと思って拒絶しています。
そうですよね。
そして、やっぱりおじさん、それもなんとなく分かっています。
だから一度安心してもすぐにまた不安になります。
そこで今度はもうちょっと際どい発言で相手の様子をみます。
それも拒絶反応がない、けど不安だから更に…と
エスカレートしていきます。
これがセクハラです。
子どもって、親や周囲の人の気を引くために、わざと相手のイヤがることをすることがありますよね。
あれと同じです。
また、加害者は常に拒絶されるリスクに怯えながらセクハラしています。
だから無意識に保険をかけています。
それが
「もしかして、これってセクハラになるかな?(笑)」
です。
被害者の立場からこのセリフを聞いてみましょう。
立場の強い人間から、逆らえないことを良いことに、自分の人間としての尊厳を貶められているんです。
へらへら笑って。
悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて、怒りで涙が出るくらいだと思います。
でも涙を出さずに愛想笑いで耐えているんです。
いじめっ子の、いじめられっ子に対する
「オレたち友達だよな(にやにや)」
と一緒です。
こんなのって許されるんでしょうか。
ここまで読んで
だったらそのセリフを言いさえしなければいいんだな?
な〜んて
思っている方、いないとは思いますが、一応言っておきます。
口に出さなくても、自分で(これってセクハラかも?)って思ったら、それ、やめてください。
しないでください。
それ、セクハラになります。
加害者ですらセクハラの可能性が認識できている時点で、被害者は100%不快に感じています。
だからやめましょう。
そんな話題に頼らなくても、もっとお互い楽しい話題で仲良くなりましょう。
この言葉は相手が不快に思わないか、どんな話題なら一緒に盛り上がれるか、そうやって一生懸命相手のことを考えて会話をすれば、相手にも誠実な態度として好意的に映るんじゃないでしょうか。
セクハラに頼らない仲良し作戦、タコは応援します。
一方でセクハラ被害者の方はどうすれば良いんでしょうか。
やめてと言えばいいんでしょうか。
でもそれ、普通無理だと思います。
というか、被害者が何かしないといけないという考え方がおかしいですよね。
タコとしては、被害者の方に何かしろなんて言うことはできません。
だから加害者の方、セクハラをやめてください。
職場で際どい発言はやめてください。
必要のないスキンシップをしないでください。
被害者の方が傷ついています。
あなたの魅力が失われています。
もしもそういうことに気づいていない加害者の方とあなたが親しくてなんでも言い合える間柄の場合に
もし、あなたが言えるのであれば、それとなく気づかせてあげて欲しいです。
セクハラは悲しいことだと、共有してほしいです。
タコは無力なので(軟体だし)、こんなブログで発信することしかできませんが、この記事を読んでいただいた方、共感できる部分があれば、ぜひ友人や同僚と共有していただきたいと思います。
そうやって、少しずつセクハラが減って、いい職場が少しずつ増えたらいいなあ
と
タコは考えています。
ではまた!